●おしらせ●
2006年11月にロリポップサーバーがぶっ飛んで数年分のデータが失われました。
創業当時の赤裸々?レポートは 診断士ナビでご覧になれます。
画像・文章の無断転用、転載、加工等はお断りしております
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2009年06月30日

取り組みの過程にはVIKが大切

地域活性化、商店街の仕事をしていてよく感じることがある。

それは、目先・小手先のことをしようとしていることが多い、ということだ。

「とりあえず人をあつめたいからイベントをしたい」

「うまく売れるすべを教えてほしい」

「真似できる事例はないか」

こんな声はよくある。
でも結局は、何をどうするか決められず今までとおんなじことをしてしまう。

しかも、残念ながら消費者や地域住民は、そういう取組の姿勢に
対して大した期待もしなくなっているから、望むような成果が得られない。

これでは取り組んでいる当事者たちにとっては苦痛でしかない。
楽しいものなどには到底ならない。

「何をどうするか分からずに、結局同じことを繰り返してしまう理由」は簡単だ。

 

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母猫に母性愛を見た

先程の話。

子猫を拾ったのだ。しかし、もう、手元にはいないのだが。

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事の経緯はこうだ。

事務所で名刺印刷の作業をしていた時、
ふと外で仔猫のしきりに鳴く声がするのに気づいた。

我が家の2匹の猫はすでに成猫、その声ではない。

窓から顔を出してみると、まだ1月ぐらいのヨチヨチした
子猫が、小雨に打たれながら隣家との壁際で壁を見上げて
鳴いていた。

今日は朝から我が家の周辺は雑草除去の業者さんが
作業をしており、その作業に驚いた親子が離れ離れに
なってしまったらしい。

まだ小さい子猫である。雨に打たれている。
すぐに保護しないと命が危険だ。

あわてて玄関を飛び出し(斜面に建つ我が家の玄関は
2階にある)、外の階段を下りて猫の保護に向かう。

子猫は壁際から離れ、駐車場の支柱と家の壁の間に
隠れるようにおびえていた。
そっと抱えあげると、バタバタ暴れる。
まだ、はぐれたてだろう、元気だ。
私の手は着実に”みみずばれ”が増えていく。

090630_093120 元気な男の子

 

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2009年06月06日

中心市街地から追いやられる若い世代

まちづくりにとって、若い世代がそれを担っていくことは
おそらく必要不可欠であることだ。
一方で、特に商店街などで若い世代が少なく、活動の
担い手に問題を抱えている地域は多いだろう。

仕事柄、中心市街地や利用者数の多い駅周辺の
人口を調べることも多いが、よく見られる傾向がある。

それは、そのような地域の中心、商業の中心周辺
において、高齢化が進み人口減少が進んでいること。
一方で駅などから離れた郊外部において人口が増え、
若い世代がそこに住んでいることである。

これが何を意味するのか?

ある地域での商店街の仕事で、地域に住む高齢者のかたが
言ったことがあった。

「どうせ若い世代なんて、よその地域に家を買って町を捨てて出て行くんだろ」

自分はその若い世代だが、そうせざるを得ない若い世代の事情がよくわかる。

昭和の中ほどから発展してきたまちの多くにおいて、
まちの中心地やすでにインフラが整備尽くされた感のある利便性の高い
地域は当然すでに人が住んでいる。
当時から住んでいる人は、いまは高齢者や、それに近い年代の人々だ。
すると土地も少ないから、若い世代がそこに一戸建てを構える余地は
元から限られている。
また、そのような地域は当然地価が高いから、物件も高い。
一方で、時代は成長経済下になく、世帯収入の水準も上がらず、
低所得化と目に見える将来の負担増への不安が若い世代に重くのしかかっている。
さらに、物件があったとしても、何もないところに何かをたてればよい時代ではない。
建物の除却などの問題がかかわってくる。

そうすると、若い世代は利便性の高い町の中心などに住みたくても、
すむことができず、多少の不便を了解の上で郊外の家に住む選択肢しかない。
別にまちを捨てたくて他地域に行くのではない。
そのまちに住む場所がないから出て行かざるを得ない現状がある。

昔のように駅が新設され、その周辺に高齢者などがしっかり陣取っていたりすることがなく、
建物の除却の必要性など負の労力を考えないでいい、地価の安い更地ばかりが広がっている
時代ではない。
もし、そういう地域があれば当然若い人だってそのような利便性が高いところに住むのだ。

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若い世代が住みたい町の中心にすむことができず、中心地のあらゆるものが
高齢化していく現状。
このことはまちづくりにとって、適正な建物や商業、住民の更新が行われていない、
と見ることができる。
当然、人口の重心も変わってくる上に、中心地の商業などの魅力も
より低下してくるから、商業の重心や拠点も変わってくる。
いくら、中心商店街に若い人を呼んで活性化しようとしても、周辺の若手の人口も
減っていれば当然困難になってくる。
社会的コスト低減のために中心市街地にマンションを造って郊外部の高齢者を
住ませよう、などと取り組むのは悪いとは言わない。
しかし、まちの活力を若い世代が担うというのであれば、
住民の適正な世代構成の維持と、若い世代がすむことができる中心市街地の
環境づくりに取り組むことが重要ではないだろうか。

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中心市街地のある一定の面積を行政が所有し、
35年程度の定期借地権などのエリアを数地区、期限がずれるように設定し、
将来的に必ず順次住民の更新が発生して若い世代を維持する
ことなどはできないものだろうか、などと考えてしまう。

2009年04月17日

電車移動

ただいま宇都宮に向かっています。
仕事先の規定で、
「この距離だと新幹線代でません」

と言うことで、湘南新宿ラインで
エッチラオッチラ向かっております。
二時間かかるのでさすがにグリーン券は
奮発しましたが。

まあ、先日の、
朝5時発帰宅24時の
酒田日帰りに比べるとなんのなんの。

しかし、今日の帰りの時間帯、
湘南新宿ライン快速がないのですが…
鈍行だけはご勘弁だなー!

まあ、今夢中になっている
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を
じっくり読める時間ができたと思えばいいか。

しかし、仕事の話が出てこない記事だな。

2009年04月11日

山形県酒田市に行きました。

中心市街地活性化について現地を視察してきました。
酒田市は歴史的な観光スポットや漁港から上がった新鮮な海の
幸といった飲食スポットが適度に散在しています。
駅前や市外数箇所にあるレンタルサイクル(無料)
でまわると手軽に観光スポットや街中を見て回れます。

P1140626
舞妓坂の相馬楼前。

P1140631 P1140637
日枝神社

P1140639 文庫は大正建築がそのまま残る
中に入って古い文献などを眺めることもできます。

P1140649 
映画「おくりびと」の葬儀社として使われた建物は、
日枝神社横、日和山への途中にあります。

P1140645 看板で撮影地点であることを案内
市内の何箇所かで見ることができます。

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2009年04月01日

労苦に報いる?

東京のある自治体で、町に3年以上住む75歳以上の高齢者の
医療費負担が1割から無料になったという。
その背景は、町に大型ショッピングモールが進出し、
税収が上がったということだ。
そこで、町の発展に寄与してくれた高齢者の長年の労苦に
報いるため、そもそも1割だけの医療費負担をゼロにするのだと
町長がインタビューで答えていた。
対象となる高齢者の人口は町の全人口の約1割だそうだ。

確かに、これまでの社会の発展をもたらしてくれた人々の
労苦は考える必要はあると思う。
しかし、しかしだ。

そんなことをやっているご時勢なのか?

と思ってしまった。
いつまでいるかわからないショッピングモールで税収が
あがりました。だから、一律、75歳以上の高齢者の医療費を
ただにします。
という仕組みは持続的なのだろうか?

今の社会は社会的に成長は止まり、若者が将来に不安を抱き、
望みを失っている。若い事業者たちは、かつての世代が体験した
高度経済成長のような将来に夢を持てる環境にはおらず、むしろ
その負の遺産を引き継いでそこを乗り越えようと労苦に直面している。

そのような中で、暴論といわれるかもしれないが、
まだ年金をしっかりもらえ、1割の医療費負担ですんでいる世代、
(若い世代にとって、自分たちが同じ年頃になったときに同じ恩恵を
受けられると考えている人はどれだけいるだろう?)
そして、現在の年代ごと資産保有率は高齢者がとても高い時代に
こちらの記事によると、70代以上の金融資産保有平均は2426万円、
40代では1116万円、純貯蓄額はそれぞれ2336万円、183万円となっている)

ただ単に「労苦に報いる」といって「負担ゼロ」等としてよいのか?
しかも75歳以上の人口は、これから増えるのに、だ。
その制度は、例えば我々30代の年代が75歳になっても持続しうる
制度設計になっているのだろうか?(なっていないのであれば、
それは目先のシルバー民主主義的制度といわれても仕方ない)
医療費負担をゼロにしたことで、その分が消費に回され、
お金が地域の事業者に還流し、若者がそれで潤うのか?
それは到底考えられないだろう。

ショッピングモールが税収を上げたのであれば、それで時代を担う、
次の代を担う世代の事業創出や育成、人材育成、将来に希望を持って
暮らせる社会づくりを行うほうが、
結果的にみれば高齢者福祉だって持続的な取組みができるように
なるのではないか。

戦乱で荒廃した中で、他藩からの支援で得た百俵の米をその場の
飢えしのぎで食べてしまうのではなく、お金に変え、そのお金で人材を育成し
結果的にまちを発展させていった「米百俵の精神」とは対照的な
出来事だな、そんな気がした。

 

2009年03月27日

金融機関との付き合いはちゃんと考えるべし

中小企業大学校の診断士養成課程の講師などをしていると、研修に来ている
金融機関のかたとの知り合いが増える。
みな熱心で、診断士となってからの会社だけではない地域貢献などを
真剣に考えている。地方銀行、信金の方が多い。

中小零細企業にとって、熱心なサポーターとなってくれる金融機関との
付き合いはとても心強いだろう。

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自分が小学生の頃。まだ、バブル前だった。

一人で小さな商売をやっていた自分の父親に連れられて、
父の会社と取引があった当時D銀行という都市銀行の支店に
行くと、必ずフロアにいた職員がもみ手をするようにニコニコして
父のところへやってきたものだ。

「ああ、○○さん(会社名)、こんにちは、今日はどういった御用ですか?」

それはまるで、「お金をいつでも借りてください、何なら今でも貸しますよ」
といったような雰囲気で、幼かった自分が
「ウチの父親は偉い人なんだね~」と思うような媚ぶりだった。

それから10年。バブルも崩壊し、我が家の商売の一日あたり売上高も
バブルの時期の数分の一しかなくなった。

ある日、自分が中学校から帰って自宅にいた時に留守電に吹き込まれた
D銀行からのメッセージが忘れられない。
それはある平日の、13時過ぎごろのメッセージだったろうか。

それは低い、だるそうにわざとらしくゆっくり話す男性の声だった。

「D銀行○○支店の××です。(ふぅ~←聞こえよがしなため息)」
「本日ご予定の□□の入金が確認できません。至急連絡をください(ガチャッ!!)」

こびていたD銀行の職員のイメージが残っていた自分にとっては、
おそらく父が手続き等で不備があり本来しておかないといけないことを
まだしていなかったのかな、と思ったが、(一方で、まだ15時まで時間あるのに、
とも思った)いずれにせよこの高慢で威圧的な電話が理解できなかった。

それからさらに数年。
商売はどん底。それでも設備などの更新も必要で、父の会社は借入を
必要とした。
そして、D銀行は、あっさりと「貸せません」と父を突っぱねた。
これは、当時の父の会社にとっては死刑宣告と同じだった。
そして、当時は余裕のなかった家庭にとっても、重大な出来事だった。

結局、父は国民生活金融公庫に相談し、 助言を受けながらわずか400万円の
融資を受けられた。
1990年代後半のことである。

そして、その2、3年後には父の会社は経営努力によって売上はみるみる
回復していった。
もちろん、借入金の返済は一度も遅らせることはなかった。
まだ、世の中が不況のどん底、といわれていた頃だ。

あのときの、D銀行の対応がいまだに忘れられない。
彼らはその後十分に売上回復する素地があった会社への
400万円の融資をせず、かといって経営へのアドバイスなどこれっぽっちもせず、
ただ単に、簡単な死刑宣告をしただけだ。
笑い話なのは、その銀行はその後、M銀行という名になり、
兆円規模の公的資金支援を受けているのだ。
公的支援の財源には、きっと父の払った税金も含まれているだろうに。

+++
中小零細は、その内容が少しでも悪くなれば、大きな存在からは簡単に
死刑宣告される。
だからこそ、つきあう金融機関は(公的機関も含めて)しっかりと吟味せねば
ならない。単にお金を預けたり、借りられれば良いだけの関係では、
そういう付き合いを求めてくるような相手であれば、
経営者にとってはいつでも手を引かれるというリスクを背負っているも同然ともいえる。
しっかりと、自分の会社について知ろうとしてくれ、時に入り込んで助言をしてくれる
金融機関もずいぶん増えている。そのような金融機関と対話をしながら、
いざというときのための関係を築いておくのも、経営にとってのリスク回避の
ために日ごろからできることだろう。


 

 

2009年03月13日

やりがい商売研究会(パンダ研究会2008) 由利本荘

今年も由利本荘市商工会さんのおかげで開催できた
やりがい商売研究会。

11月から4ヶ月にわたる月一回の研修。
宿題を毎月、知恵を絞りながら考え、実践してくれた
8人の研修生。

みんな成果があった。
研修生同士のコラボ企画が、研修生の間から考え出され、
アイデアでつくられ、実践され、そして、みんなに勇気と喜びをもたらした。
地域の人が、そこに来て、笑顔になった。

僕は、うれしかった。

この仕事をしていて心から良かったと、
彼らの人生の商売という手段だけではないなにか、
彼らの人生の何かに自分がチカラになれたのだと
そう感じて、僕は本当に幸せだった。

研修が終わった日、みんなで夜中まで懇親会。
酒宴
にかラオケ、声は枯れたが、楽しかった。
夜中まで飲んだ。翌朝、ほんの数時間しか経っていないのに、
二人の研修生の方が、朝、僕を駅に見送りに来てくれた。

駅で不意に掛けられた声。驚いた。

ありがとう。とても感動した。

そんなふれあいに、僕は自分を信じる勇気を持ち、
人に提案していく自信を持てる。

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週があけて、商工会から、研修生の研修に対するアンケート結果が
送られてきた。
みんな、色々と感想を書いてくれていた。
そして、それはどれも、僕を感動させたり、やりがいを感じさせてくれるに
十分なものだった。

人の人生に関わることは、生半可なことではない。
取り繕うことでもない。
ときに、命を削っていると感じることもあるかもしれない。

そんなふれあいの先にあるもの。
良心的な人々と、ともに作り上げてきたもの。
商工会の皆さん、ありがとう。

その価値を感じられるこの仕事は、なんて素敵なものなのだろうか。

ありがとう。

なんだか、そこの研修会が終わったことを考えれば、

もうみんなが恋しい。

情けないかな。
でも、そんな気持ちで僕は仕事をしている。
そして、僕はここに生きている。

P1110157 
すばらしい研修生、情熱的商工会指導員さんと

2009年03月01日

さくらソングはもう辟易した

ここ10年この時期になると、「さくらソング」なる、
桜の花を歌詞におりこんだ歌が続々と出てくる。

日本人にとって、桜は昔から馴染み深い花だったし、
春の訪れを告げる花として、美しい花として愛されてきた。
そして、それは喜びの花だけではなく、別れを象徴する
ものとしても、ある程度の共通認識があると思う。
だから、桜がモチーフとして取り上げられるものには、
特別な感情がわきやすくなるものだ。

さて、「さくらソング」。
サビの部分でひねりなくダイレクトに「♪さーくーらー」
などと歌うようなものもあるし、「さくら」を連呼しているような
ものなどいろいろある。

自分は、それらの歌に、桜をモチーフにしてしていなくても
評価される歌がどれだけあるのだろう、と疑問を持つ。
桜のイメージだけに支えられていて、楽曲・歌唱力としては
何の深みもないペラペラ感を感じてしまうのだ。
つまり、「情につけこんでいる(そのようなマーケティングに
乗っかっている)だけじゃないか」と。
そんなに実力ある歌なら、夏に発売される桜をモチーフに
した歌があってもいいだろう。

もちろん、桜のイメージを上手に取り込み、作品として
魅力があるような楽曲もあるのだと思う。
福山雅治の「桜坂」は自分も大好きな歌だ。

まあ、いずれにせよ、単にイメージに頼って実力を
伴わないようなものがもっともらしく売り出されるこの時期、
なんだかさめた気持ちになってしまうのである。
なんでもそのとき売れればいいというものではない。

 

 

 

商店街診断のお仕事

8ヶ月ほどかけて取り組んできた千葉のある商店街診断の
最後の委員会に行ってきました。
今回の診断事業は千葉で活躍する診断士の伊東寛記さんと
一緒に取組みました。自分が中心に進めてきていたので、
調査内容の設計やストーリー作りなど色々考えたり調べたりと、
なかなか大変でしたが、やりがいのあるお仕事でもありました。
また、その商店街はここ10年で2回ほど商店街診断を受けていて、
一つは中小企業診断士の3次試験の受験生による診断、
一つはコンサルタントによるものでした。
それらの報告書の内容はさておき、診断提言を行う以上は
「今回の提案はいままで一番助かったね~」
といってもらいたいものです。

一方で、商店街の皆さんもとてもやる気のある方で協力度合いも
よく、年末の経営者アンケート・来街者調査などもつつがなく
終了。商店街の方の期待を感じて、ますます気が引き締まります!

最後の委員会では、こちらが用意して行った提言を報告し、
それを最終的にブラッシュアップすべく、商店街、行政、支援機関、
住民からなる委員の皆さんと意見交換をしていきました。

今回の提言は、アンケート調査、街区調査、商圏設定などの
現状分析結果のほか、

・商店街が商店街のことだけを考えるのではなく、
地域の中でのあり方を考え、特徴をつくる必要性。
・個店の活性化についての方向性
・商店街の課題の販促方法についての検証と改善ポイント

これらの提言が柱になりました。

どんな仕事もそうですが、一人で考えられることには限界があります。
今回の提案も、自分なりに色々と頭を悩ませつつ考えたものです。
それでも、委員会を進めていくほどに委員の皆さんの積極的なご意見で、
さらに磨きがかかり、より具体化されていきます。
話し合いの中で、みんなが同じことに対して真剣に捉え、知恵を出そうとする。
しかも、今回の委員会のメンバーのすばらしかったことは、みなさん

「やれない理由」
「やらない理由」

ではなく

「何ができるか」「どうやったらできるのか」

という視点から議論が進められたことです。

よくなっていく提案、見えてくる踏み出す一歩。
それを実感できることがとてもやりがいを感じる瞬間。

少しでも、商店街とそこで商売を営む方、そして地域の人のためになる
ことができたのかな、
と、終了後に少し感じることができました。

商店街診断は今は実施する予算がほとんどない地域も多く、
また、診断受け入れをできる商店街も少ないかもしれませんが、
地域の現状を知る上でも、商店街のこれからの姿を具体的に
描くきっかけ作りという意味でもとても役に立つもの。
こういうところにもっと気軽で手続きが簡単な予算支援が増えてく
れるといいな、と思います。
(もっとも、やる気のある人がいる商店街にこそ、その支援は分配
される必要があると思いますが)