●おしらせ●
2006年11月にロリポップサーバーがぶっ飛んで数年分のデータが失われました。
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2012年05月24日

先回りをしない強さ、先回りを突破する強さ

ある日の60歳過ぎの年配のかたと30代の若い方の会話。

若「実は今度、○○という問題について、かくかくしかじか取り組んでみようと思うのです。というのも、現状は云々のような状況なので」

年配「それじゃ失敗するよ。」

若「なんでですか?」

年配「僕らも若いころにさんざんそうやったけど駄目だったんだよ」

若「何が問題なのでしょう」

年配「経験から行くと、かくかくしかじかあるべきなんだよ」

若「それは私はまだ経験が足りなくてわかりかねますが、じゃあ、どのようなことが必要なのですか」

年配「それがわかったらこんな状況になってないよ。とにかくそこには協力できないよ」

若「…」

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こんな会話、日常的に出会いませんか?
ある商店街の会合でも、若手の発言をベテランの方が上記のように一つ一つつぶして、結果的になにも決まらなかった、実行されなかった場に居合わせたことがあります。

時代背景も、考えている切り口も価値観も全然違うのを差し置いて、経験上から若手のアイデアや先に踏み出す一歩の芽を摘んでしまう。

これは、「経験を振りかざして最初からあきらめていること」という場合もありますが、
「極度に無駄や失敗を避けようとして結果ばかりを求めている」場合も多く、一方で
「本当に若い人のことを思って良心から言っている場合」もあります。

ただ、いずれにしても結果は同じ。なにも進まない、のです。

経験を積んだ人は、老若にかかわらず、かかわった相手に対して自分の経験を振りかざしてしまうことがあります。

それが建設的な提言であればいいのですが、上記のように、相手が何かをする前に、先回りしてそれを否定してしまう結果、踏み出そうというところを踏み出せなくしてしまっていることが、少なからずあるのです。

このような状況では、「物事が前に進まない」だけではなく「人が育たない」「組織がまとまらない」ことになります。いまの多くの商店街で、40代でリーダーが育たず、その年代の疲弊感だけが増している状況が如実にそれを表しています。
かつて、まだ比較的余裕のあった時代に自分たちがしてきた失敗を若い世代には「してはいけない」でも「結果を出せ」と求めることや、これまでその積み重ねがない人にいきなりそれをやれ、ということには無理があります。

人は、経験から学ぶものです。
一方で、ひとの経験を共有し、それをもって自分の価値観を変えていくということは、よほどの説得力や共感がなければ難しいでしょう。

物事を動かし、ひとを育てていくためには、自分の経験で相手をやりこめる方法(結果)は避けることが望ましいでしょう。先回りして結果的に相手を踏みとどめてしまわぬ強さ、つまり、相手に取り返しのつく失敗をさせる我慢強さとフォローアップの精神を持たねばなりません。
もう一つ言えるのは、経験を振りかざされた若い人も、そこで歩みを止めてはいけないのです。若者らしく前に進む、経験からの壁を突破する強さを持たねばならない、ということです。
そこを突破し、認めさせ、そして時にベテランから奪い、時代を変えていく。そこに若手としての面白みがあるのです。

どのようにすれば相手を説得できるか、相手の言うリスクを回避できるか、を考えることをやめてはいけません。そして大事なことは、必要な時には「とにかく踏み出す」ということです。完全な計画など存在しません。とにかく踏み出し、経験することからそれは熟成され、自己の成長につながっていくのです。

精力的なまちづくり活動が進んでいる地域は、このような世代や経験による差、それぞれの役割分担がうまくいっている地域が多いように思います。

+++以下、余談+++

ちなみに、上述のベテランの方がことごとく若手の意見を経験だけから潰してしまった商店街。
建設的な意見を求めても出てこないこともあり、
「ベテランの方はすべて引退し、お金をだすこと、何かやるときに地元で必要な調整作業だけしてください。このままだと、この若いメンバーはここで子供を育てて子供に故郷を残してやることができなくなりますから」
と私はお願いしました。
そういうことを言うのも、第三者である支援者の役割の一つだと思っています。

その商店街からは、声がかからなくなりました。
おそらく第一には私の実力不足があるでしょうが、そのほかに
・現地のお金や意思決定権を持っているベテランが私に対して面白くなかったこと
そして、もうひとつ
・若い世代がこの機会を活かして、下剋上をしようという気概がなかったこと
があるでしょう。

しかし、支援者としての立場からいえば、そのように自分が支援したくなる人がいない地域には、特段呼ばれなくてもいいや、ということです。こうやって、支援者も遠のいていくのも現実と思います。

2012年04月23日

復興は「今の人」ではなく「将来の社会」のため

経営者のための雑誌WEDGE40号に、「被災地を覆う被災前からの課題」という記事があります。その中で、被災地では被災前からすでに2035年には人口半減が見込まれていたこと、奥尻島の津波以後は手厚い支援にかかわらず、奥尻島の人口は減少し続けていること、震災を機に再開発したが、結局人通りが減少している商店街など、既知の問題点があるとされています。そのなかで、今回の震災、津波での「被災地の復興計画」は「国やコンサルに依存」している現状があり、ソフト面での産業振興策は具体性にかけ、インフラ、ハードに偏重している問題点が挙げられています。
つまり、既知の課題、それまで町にあった課題をまた、「復興という名のもとに」作り上げてしまう、という危険性があるのです。
そこでとくにポイントになるのが、
「復興を目指すなら、被災地は今いる被災者の復旧以上に、将来の住民のために震災前からの課題を克服し、特有の地域資源を用いて、持続可能な地域に変貌することにより注力すべきである」という一文。
たしかに一方で、地方の人材難では、依存が大きくなるのもやむを得ない、とのことも事実。
ただ、いくら人材難であるとはいえ、自分たちの住むところ、子供たちに残す地域や社会の在り方を、他者に依存することは望ましくありません。
「自分たちでやりたい」という意欲のあるご担当のかたは必要であればお声掛けください。
とくに、若手主体の方たちとの協働を望みます。そして、それに対し、地域のキーパーソンが後押ししてくれていればなお望ましいですが、まあ、それは望み過ぎかな?
私や各方面のプロである仲間たちがチームを組んでお手伝いさせていただきます。
ワークショップ的な形式を考えながら、自分たちで学び、見つけ、考え、まとめていく。そこに我々が提案や助言をしていく中から、お手伝いしていければと思いますので。
ご連絡はフェイスブックから可能です。予算はそれなりにかかると思います。

 

http://www.facebook.com/

2012年04月06日

こだわりの川根茶

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大井川沿いに、紅葉で有名な温泉地寸又峡を目指す途中に、知る人ぞ知るブランド茶川根茶の生産地がある。寸又峡の温泉宿で購入したお土産が↑。

5つのお茶の葉パックが入っている。

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それぞれのお茶のパックの生産者は違う。
そして、そのお茶につけられた彼らの「作品名」、そして、「こだわりのポイント」が書かれている。

同じ川根茶。されど、まったく違う川根茶を、購入した人は楽しむことができる。

大井川の光景、細長く伸びたような屋とに広がる茶畑を想像し、そこにこだわりの茶を愛情持って育てる人たちがいる。

それに思いをいたしながら、彼らのこだわりを読みつついただく川根茶は、味わい深く、下の上に心地よい苦みとうまみが残る、逸品でした。

素晴らしいお土産商品だと思います。

2012年04月03日

信頼を勝ち取る姿勢は紙一重。物事の優先順位を間違えるな。

朝ズバを見ていたら、とある伊豆諸島の島についてやっていた。津波が来ると、29mの津波が想定される、ということがつい最近発表されたことに対する島のコミュニティの対応についての取材だ。
ある商店の人がインタビューに答えていた。
「GWの前にこんな発表しちゃったから、もうなるようにしかならないけど」
非常に、疑問の残る発言だった。
季節的に外貨を掻きいれる時である事情はわかる。
でも、だからと言って、土地勘のない観光客が大変な危険に会う可能性がある状況、情報を
「自店の売り上げのため」
に今発表されて迷惑だ、のように言うとは。
「島に遊びに来られる方のためにも、危険な状況が早くわかってよかった。すぐに、我々としてもお客様の安全への対応を進めたい」
こういうだけで、評価は180度変わったはずだ。


千葉北部のある商店街関係の人と話した時のこと。私が線量計で空間線量を測り、
「やはり商店街区も線量高いですね」といったところ、その方は
「それをブログなどで書かないでね、人が来なくなったら困るから」

この二つの発言はともに同じものかな、と思う。
端的に言うと、自分はこのようなお店や商店街では買い物をしたくない。
安心・安全なもの、本当にお客さんのためになるものを売っていると思えないからだ。

商店街の人にその場で言った。
「その考え方が、住民からの信頼を得られないんですよ」
「むしろ、これは危機を信頼に変えるチャンスです」
「商店街の人が、毎朝、街区を除染活動して、住民の目にその姿を見せる」
「空間線量や、側溝の線量を測り、毎日街区に貼りだす。ネットに載せる」
「商売人が先回りして消費者よりも安全・安心を高めるための学習する」
「”私たちは、皆様の安全・安心に取り組む”というメッセージを掲げて、それぞれのお店で商品の安全性を高める取り組みをし、店頭でPRする」

こういったことをすれば、むしろ、住民のかたは商店街にたいする安心感、安全感を増すでしょう。
「安心・安全」を感じられない商店街には、そもそもそこに来て買い物をしようという「動機」は住民には発生しない。それでも商店街を使うのは、昔からのなじみで惰性や交流に来ている高齢者か、やむなく来ざるを得ない人たちだ。

自分たちの目先の利益のために、事実やお客様の安全にまつわることをひた隠し、ごまかす。

誰がこれに共感するというのだ?

ある一つの事象、とくに、SWOTで言うところの外部環境のT(脅威)に関して言えば、そこへの対応のいかんによって、評価は表裏相反することとなる。

ネットスーパーの「おいしっくす」などは、原発事故直後から自社流通商品の放射能検査体制をいち早く取り入れ、乳幼児向け食品はすべて調査し始めた。
結果的にユーザーの信頼を勝ち取り、会員を増やしただけではなく、生産農家を守ることにもつながった。

先の商店や商店街と、おいしっくすの違いは何か?

そこをしっかりと考えなくてはならない。

物事には、優先順位がある。
よく、経営と人間としての在り方は、「優先順位は相容れない」と考えている事業者が多いが、それは考え違いである。

物事の順序を踏まえているからこそ、ゆるぎない信頼や愛顧を賜ることができるのであり、それはまた、経営に”筋”をつくり、次に自分が何をすべきかの道を照らしてくれるようになる。結果的に持続的な経営をもたらすことになるのだ。

経営者が目先の銭をいかにずるく手にするかを考えてはいけない。
日々の人としての在り方こそ、実は大切な自己と事業への投資活動なのではなかろうか。

2012年03月28日

笑う愛情の表現と家族を殺める愛情の表現は違うのか?

母校の明治学院大学国際学部では竹尾茂樹先生のもと、島嶼社会研究の分野を専攻していました。
沖縄、台湾での短期間住込みのようなフィールドワークがあり、今から考えても、素晴らしいゼミだったと思います。

その一環で、沖縄の基地問題や住民を巻き込んで行われた太平洋戦争末期の沖縄戦についても学びました。

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2012年03月25日

美しさを引き出すこととは~咲こうとしている花と枯れ行く花の美とは~

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上の画像をご覧ください。

どちらもともに、同じ花です。あるトルコ桔梗がまさにこれから咲こうとしているのが、左。
そのトルコ桔梗が後日、枯れて朽ちていこうとしているのが、右、です。

いかがでしょうか?どちらがきれいですか?

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2012年03月07日

本日の日経MJに「消費者」として紹介されました

 

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今日の日経MJの「食の安全」特集。3面に”一消費者”としてコメントをとり上げていただきました。
実は、先日、Tさんという記者さんに。取材をお受けしていたんですね。
案の定、私のせいでいろいろと話がそれて、3時間半の取材でした(笑)
でも、いろいろと情報提供も頂き、とても有意義。

さて、記事は紙面上の制約があるので、私のコメントを若干補足します。

まずは…

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2012年02月29日

両面にある価値

自分は、物事はすべてアンビバレントなものだと思っている。

アンビバレント、日本語でいえば両面価値。

両面価値だけではニュアンスが伝えきれない気もするが、おおよそは間違っていない。

めったに雪が積もらないわが家。今日は雪が20cm以上積もった。

雪かきが大変だ。

でも、雪かきではなく、雪だるまでパンダをつくった。140cmものだ。

ちゃんと、目、鼻、耳はコーヒーで黒くした。

道のはじっこに、邪魔にならないように置いた。

本当は、大変なはずの雪かきも、ひと時の楽しい時間になった。

道行く子供が立ち止まったり、おじいさんやおばあさんが立ち止まって孫のために携帯画像をとったり、
近所の人と会話するきっかけになったり、活躍してくれている。

今日、商店街なんかで各店が同じような雪のオブジェを店頭に並べたところはあるだろうか?

あるいは、小さなかまくらをつくり、そこに、今晩ろうそくをともそうよ、というアイデアが出たところはあるだろうか?

「雪が降った。客が来ない。雪かきが大変だ。もう、大迷惑」

とか、愚痴っていたりはしないだろうか?

物事は、両面の価値がある。

常に、目に見えている価値、常識的な価値の裏の価値を見抜いて、それを楽しんだり楽しませたりすることに使う。商売上の魅力創出に使う。もちろん、社会性、公序良俗は侵してはならない。

あるいは、苦しい現況が、何かの糧になっていることがある。
大事なことは、「何の糧になっているか」を見抜くことだ。
それを見抜き、それを活用してやる。武器とする。

私の実家の商売は、清算、家族離散の危機が続き、やがて、ある業態変化をすることでV字回復した。
その時は、苦しかった。何もかもが嫌になった。

でも、その時の経験は診断士となった今、生きている。
相手のもがいているところ。苦しいとこを。とらわれている罠が見える。

でも、

「変えることはできるんだよ」

ということを、心から言うことができる。

それは、あの経験や時間の苦しい側面だけではなく、そこから得た裏の価値というものに気付いたからだ。

アンビバレント。両面価値。

それを見抜き、活用できたものが、何かを手に入れることができる、と私は考えている。

どうだ、たまにはまじめだろう。えっへん。

2012年02月25日

絶望の国の幸せな若者たち についての議論

朝まで生テレビ の討論、面白く、なんだかもどかしい。
奔放な教育を受け、みな貧しい中から社会共通の目標を持つ中で、やるべきことは明確、つくるべきものはたくさんあり、ある程度権限を持てる中から年々所得が拡大し、目に見えて時代が進化していたころに将来に大きな夢を見た高年代の世代で現状不満度が高く(思うようになっていないから)、
画一的な教育を受け出る杭を嫌い、年々時代が右肩下がりの縮小傾向、社会としての目標も進むべき方向も見えず、権限も持たず就職もままならず、働けど向上しない所得や労働環境が悪くなる中で将来に希望や生活の質の向上の確信が持てない状況を生きている20代、30代の若い世代が今現状に幸福を感じ保身的になっている(将来は今より悪くなることが見えている)ということは当然と思う。
個人で変えられることはあるが、それ以前に個人ではどうしようもないマクロ環境の前提が違いすぎる。

このとき、同じ20代、30代の人生のステージの過ごし方として、どちらが「幸せ」なのか。
「幸せ」とは何か?

46歳の慶応大学の先生の、
「若い人は親の資産をあてにできる。それだけの資産がある。だから家を買う必要もないし、税金も払わない」
という発言は、まあ、15年くらい前の
「若者は自由なライフスタイルを求めるためにフリーターになる」
「ライフスタイルのためにあえて結婚しない若者たち」
とかまったくボタンの掛け違いをしていた大人の世論の典型だと思う。
(もちろん、それが違っていたと気づいている大人のかたは私の周りにたくさんいるが)

逆に、40歳の早稲田の先生は癖があるが言っている本質的な部分は共感できる。

将来への絶望感が、現状への満足感をもたらしている。

+++

実用性と下駄変わりの車ばかりをつくっていたトヨタがなぜ若者をつかむためにFT86という車を開発したのか?これは本当に「車離れ」から若者の価値観を車に回帰させるほど売れるだろうか?

社会のなかで、マクロを変えうるマス層は、まだまだこの変化の本質を見ていない。

 

ただね、若い世代も自分たちでもっと動かないといけないんだよ。
その必要性に気付いているはずなのに。

「座して天命を待つより自ずより道拓かれん」

ラバウル、松山という激戦地にて、数は圧倒的劣勢、使っている飛行機は圧倒的に性能劣位のなか、エースパイロットとして生き延びた小高登貫(こたかのりつら)という人の言葉です。

こんな状況だからこそ、私はなかなか理解されなくても36歳の診断士として、その世代の目線、共感をする中からまちづくりの提案をしているのです。それが自分の強みであり、役割だからです。
未来をつくろうと動き出し、時にもがいているまちづくりの現場の若い世代とつながりながら、それを応援する。時にベテランの素晴らしい知恵やノウハウを持たれている先生方とのコーディネートをしたいと思っているわけです。

2012年02月24日

出生率の改善?数字のトリックです。

毎日新聞の記事で、

「2012年人口推計 合計特殊出生率1.35に改善 超高齢化、流れ止まらず」

という記事を見つけた。「改善」という言葉が非常に引っかかった。
改善している実感もないし、改善するほどのことを身の回りで環境整備されていると思わないからだ。

調べてみたら記事内で比較対象となっている2006年の年間出生数は

1 092 674人

そして、2010年の年間出生数は

1 071 304人

減っているのだ。

経営でも、粗利益を率だけで見ると道を誤る。

実数で見ること

これが重要。本当に改善と言えるのだろうか。

あたかも増えているような率の表わす数字のトリックに、騙されてはいけない。

これからも日本は子供が減り続けるのだ。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120131ddm010040029000c.html

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